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アメーバ経営で世界へ 高収益企業を次々 稲盛和夫氏 2022/08/31

稲盛和夫氏は京セラや後にKDDIとなる第二電電(DDI)を創業したほか、経営破綻した日本航空(JAL)の再建をなし遂げるなど、経営者として多くの実績を残した。組織を小集団に分け採算管理を徹底する「アメーバ経営」や、自身の経験則に基づいた「フィロソフィ」と呼ぶ独自の経営哲学で組織を活性化した。その優れた経営手腕と仕事に全力で取り組む姿勢は、国内外の多くの経営者に影響を与え続けている。

鹿児島県出身で実家は印刷業。空襲で財産を失い、父が作っていた紙袋の行商を手伝った。旧制中学の受験には2度失敗し、初期の結核にもかかるなど、青年期は苦難の連続だった。

鹿児島大学を卒業後、教授の紹介により1955年、京都の絶縁磁器部品の松風工業に就職。代表的な電子部品の材料であるセラミックの技術者となる。すぐに頭角を現すが上司と衝突し、59年に仲間と8人で会社を飛び出して京セラの前身となる京都セラミックを27歳で創業した。66年に米IBMから集積回路用のセラミック基板を受注したのを機に本格的な成長軌道に乗った。

業容拡大を支えたのが独自の経営手法だ。組織が大きくなるとどの部門が利益を上げ、どの部門の生産性が低いかが見えにくくなるといった弊害が出てくる。アメーバ経営は組織を小集団に分け、部門別に採算や目標を月単位で徹底的に管理することで社員一人ひとりが自主的に経営に参加することを目指した。

ただ単なる個別の採算管理だと「自分の所属する部署さえ良ければいい」という目先の発想に陥る恐れもある。それぞれの社員にフィロソフィと呼ぶ経営哲学を植え付けることで、全員が「利他」の意識を持ち、全体最適を心がけるように仕向けた。

カメラの名門、ヤシカや経営破綻した複写機メーカーの三田工業(現京セラドキュメントソリューションズ)、米電子部品大手のAVX(現KYOCERA AVXコンポーネンツ)、三洋電機(現パナソニックホールディングス)の携帯電話事業など積極的にM&A(合併・買収)を重ねたが多くが頼まれて引き受けた案件だった。フィロソフィにより社員の目線をあわせることで融合を進めていった。

86年に社長の座を譲って会長専任になって以降、京セラは7代にわたってオーナー家以外がトップを務めている。フィロソフィを浸透させることで、創業の精神を維持している。

今では京セラの事業領域は電子部品、太陽電池、事務機器などに広がり、2022年3月期の連結売上高は1兆8389億円、純利益は1484億円の大企業に育った。

稲盛氏の活躍の場は京セラの外にも広がっていた。土光臨調(第2次臨時行政調査会)が電電公社の分割・民営化を答申したのを受け通信分野への参入を決断。84年に第二電電の準備会社を設け、市外電話や携帯電話などの事業に打って出た。

00年には、国際通信最大手のKDD、携帯電話の日本移動通信(IDO)との3社合併を実現しKDDIが発足。国際・国内長距離、携帯電話の各サービスを提供し、NTTに次ぐ総合通信会社をつくり上げた。

旧知だった前原誠司国土交通相(当時)からの再三の要請に応じて10年1月に破綻した日航の再建にも尽力した。会長としてアメーバ経営の手法を持ち込み、部門ごとにコスト意識を徹底。「JALフィロソフィ」も発表し、経営や仕事に対する考え方を改革した。

日航は急速に業績を回復した。11年3月に更生手続きを終了し、12年9月に再上場を果たした。今でも日航ではJALフィロソフィが手帳として配られている。

稲盛氏は自身の経営哲学を伝える「盛和塾」や多くの著作を通じて、国内外の経営者に影響を与えた。盛和塾は稲盛氏から直接学びたいと83年にできた自主的な勉強会「盛友塾」に端を発する。

年5回ほど例会があり、塾生の経営体験発表や講話といった勉強会、経営問答、懇親会などを実施した。また年1回、全国から塾生が集う世界大会を開催。中堅・中小企業の経営者を中心に、かつては元サッカー日本代表の岡田武史監督や、元横綱の白鵬、ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長も学んだ。稲盛氏の意向を受け、19年末に盛和塾は閉塾した。

自身の経営哲学などを解説した著書も多く、国内だけでなく中国などでもベストセラーとなった。

科学技術の振興にも取り組んだ。私財を投じて創設した「京都賞」はこれまでに世界各国の100人以上が受賞し、京都大学の山中伸弥教授や本庶佑特別教授ら後にノーベル賞に輝いた研究者も多い。

(日本経済新聞)

「歴史的な通信再編」「卓越した指導力」 各界から悼む声 2022/08/31

京セラ創業者の稲盛和夫氏が死去した。京セラを世界的な企業に育てただけでなく、KDDIの誕生やJALの再建にもかかわり、経営塾「盛和塾」を通じて多くの経営者に影響を与えた。日本には政権交代が必要と野党時代から民主党を支援していたこともあり、産業界だけでなく、政界など各界から悲しみの声が相次いだ。

稲盛氏が創った京セラの経営を担う谷本秀夫社長は「仕事に対する真摯な姿勢や創業者ならではの考え方、卓越した経営手腕を学べたことは、私の大きな財産となっている」と悼んだ。山口悟郎会長は「『人間として何が正しいのか』の判断基準のもと、経営哲学『京セラフィロソフィ』を確立し、また経営手法『アメーバ経営』をもって京セラを成長発展させてきた」と振り返った。

稲盛氏が合併を主導し、2000年に誕生したKDDIの田中孝司会長は「3社合併は、小異を捨て大同団結することで、かつてない歴史的な業界再編に至りました」とたたえた。

京セラと同じく京都府に本社を構える日本電産の永守重信会長兼最高経営責任者(CEO)は「経営者人生の師だった。もっと長生きして、もっと厳しく指導してほしかった」と振り返り、「絶えず京セラのような会社にしたい、稲盛さんのような経営者になりたいと頑張ってきた」と悼んだ。

2010年に経営破綻後に稲盛氏が会長として再建を進めたJALは「卓越したリーダーシップによって構造改革と意識改革を進められて、再生へと導いていただきました」とコメントを出した。

国民民主党の前原誠司代表代行は「JALの再建をしてもらったことは日本を救ってもらったことだ」と述べた。国会内で記者団に話した。

前原氏は衆院京都2区の選出で、稲盛氏と親しかった。民主党政権で国土交通相を務めていた際に、会社更生法の手続きを進めていたJALの会長就任を稲盛氏に要請した。「三顧の礼とはよく言ったもので2回断られた。3回目にお引き受けいただいた」と振り返った。稲盛氏が就任を受け入れたことについて「国民、消費者のためになるという思いが再建へと突き動かしたのではないか」と話した。

(日本経済新聞)

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