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ゴードン・ムーア氏死去 インテル創業「ムーアの法則」 2023/03/25

【シリコンバレー=佐藤浩実】米インテルの共同創業者で「ムーアの法則」の提唱者として知られるゴードン・ムーア氏が24日、米ハワイ州の自宅で死去した。同氏の設立した財団とインテルが発表した。94歳だった。

ムーア氏は長年の同僚だったロバート・ノイス氏とともに1968年にインテルを設立した。電子機器の「頭脳」にあたるマイクロプロセッサーを開発し、世界的な半導体メーカーに飛躍する礎を築いた。79〜87年まで会長兼最高経営責任者(CEO)を務め、その後も97年まで会長、2006年まで名誉会長として、インテルの最盛期を支えた。

1965年に業界誌への寄稿で半導体の飛躍的な進化を予測し、ムーアの法則と呼ばれるようになった。当初は「半導体の集積度は毎年2倍になる」といった内容で、75年に「2年ごとに倍増する」との見方に更新した。

インテルによれば、ムーア氏の真意は「半導体の集積度を高めることで、すべての電子機器をより安くできるというメッセージを伝えることだった」という。ムーアの法則は長きにわたり、半導体やIT(情報技術)産業の技術革新における指針となった。

ムーア氏は1929年に米西部サンフランシスコで生まれ、カリフォルニア大学バークレー校などで学んだ。トランジスタを開発したウィリアム・ショックレー氏の半導体研究所でノイス氏に出会い、同氏らと57年にフェアチャイルドセミコンダクターを設立。その後のインテルの発足につながった。

インテルのパット・ゲルシンガーCEOは「ムーア氏は洞察力と先見性によってテクノロジー産業を定義した。トランジスタの力を明らかにすることに貢献し、数十年にわたって技術者や起業家に着想を与えた」と声明を出した。米国半導体工業会(SIA)は「彼の死は一つの時代の終わりを意味するが、遺産は永遠に生き続ける」とつづった。

ムーア氏の描いたビジョンは半導体業界を超えて、テクノロジーに関わる多くの人たちに影響を与えた。アップルのティム・クックCEOは「シリコンバレーを築いた父の一人であり、技術革命の道を開いた真のビジョナリーだった」とツイッターに投稿した。グーグルのスンダー・ピチャイCEOは「私も彼のビジョンに影響を受けた一人だ」とした。

(日本経済新聞)

半導体の飛躍的進化を鼓舞 インテル創業ムーア氏死去 GAFA誕生の下地に 023/03/26

米インテルの共同創業者で、「ムーアの法則」の提唱者としても著名なゴードン・ムーア氏が24日、死去した。1960年代に発表した「半導体の集積度が1年(その後2年に修正)ごとに倍増する」との予見は米IT(情報技術)企業「GAFA」誕生の下地をつくったともいえ、現在もハイテク産業の指針だ。産業のデジタル化に乗り遅れた日本企業にも多くの影響と教訓を残した。

「2のn乗」――。チップに乗る素子の数が毎年2倍になるとしたムーア氏の当初の法則を式に表すとこうなる。

そのすごさは、n(年数)が増えるほど、信じられないような進歩が起きることを予見できる点だ。ムーア氏は1975年以降「2年で2倍に」と修正し、式も「2の2分のn乗」となったが、10年後(nは10)は当初の32倍、20年後は1024倍にもなる計算だ。

法則を発表したのは米業界誌の創刊35周年記念号への寄稿だった。まだインテル創業前の65年で「今後10年は続くだろう」との控えめな書き振りだったが、法則はそれから58年後の今も隆々と生きている。

例えば、現在のスマートフォンは51年前(72年)に打ち上げられた「アポロ17号」のコンピューターの1千万倍以上の性能があるという。ムーア氏の法則に沿った進化だ。

法則というより業界の経験則、努力目標といった方がいいが、それがあったればこそ、「努力を続ければ電子機器の価格が低下し、デジタル化の時代が加速する」とハイテク産業従事者を鼓舞し続けたことは間違いない。

ムーア氏の洞察を土台にビジネスモデルを構築したのがGAFAだった。コンピューティング能力は飛躍的に高まりつつ、デジタル機器やサービスの価格は飛躍的に低下する。そこに照準を合わせ、アップルやアマゾン・ドット・コムは顧客と売上高を指数関数的に増やしていった。

日本企業は残念ながら、デジタル時代へのこだわりと予見が甘く、従来型産業構造から脱することはなかった。ムーアの法則のように、72年型の小型乗用車が「2年で倍」のペースで燃費改善を続けたとしたら、今では1リットルの燃料で地球を20周以上できる計算だが、そんなことは起きることはなかった。

日本との関係でいえば、でこぼこが多かった。日本の電機メーカーとの知的財産をめぐる法廷闘争、日米半導体摩擦。先鋭的になりがちな両国関係が続く中でも毅然としつつ、冷静で紳士的な言動がめだった。

インテルはムーア氏が後継指名したアンディ・グローブ氏のもとでメモリー事業から撤退、経営資源をマイクロプロセッサーに集中させる決断をした。パソコン時代を迎え、それが大きな成功だったのはいうまでもない。この分野で競争力を飛躍的に高め、エレクトロニクス分野での日米逆転を決定づけた。

97年に名誉会長に退くと、夫人とともに「ゴードン・アンド・ベティ・ムーア財団」を設立し、保有するインテル株を原資にして慈善活動に注力した。相前後して米マイクロソフトの共同創業者、ビル・ゲイツ氏も財団を設立して疾病予防などの活動に力を入れており、「富豪」による社会貢献の手本となった。

半導体での復活をめざす日本のエレクトロニクス産業では、今後10年で10兆円規模の官民投資が進む。ムーアの法則の本質を実践する時かもしれない。

(本社コメンテーター 中山淳史)

(日本経済新聞)

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