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ソニーグループは2日、十時裕樹副社長兼最高財務責任者(CFO、58)が4月1日付で社長兼最高執行責任者(COO)兼CFOに昇格する人事を発表した。吉田憲一郎会長兼社長(63)は代表権のある会長として最高経営責任者(CEO)も引き続き兼務する。十時氏と吉田氏の「2トップ」で経営体制を強固にし電気自動車(EV)など新事業の育成を急ぐ。
2日の記者会見で十時氏は「『成長』にこだわり、ポジティブスパイラルを生み出したい」と語った。吉田氏も「事業間連携や事業ポートフォリオの管理といった経営体制を強化すべきと考えた」と社長交代の狙いを説明した。
5年ぶりとなる社長交代の狙いはグループ経営体制の強化にある。同社は2021年からエレクトロニクスを中心とする企業体を改め、ゲーム・映画・音楽・半導体・金融を含めた6事業が等しく連携する現在の体制を確立させた。
各事業会社には独立経営でスピード感を持たせつつ、事業間の連携が必要になる。経営に難しいかじ取りが必要となり、吉田氏が会長兼社長兼CEOを一人で担うのではなく、各事業の成長促進は十時氏に託す。
十時 裕樹氏(ととき・ひろき) 87年(昭62年)早大商卒、ソニー(現ソニーグループ)入社。02年ソニー銀行代表取締役、13年ソネットエンタテインメント(現ソニーネットワークコミュニケーションズ)副社長。18年ソニー代表執行役専務CFO、20年から現職。山口県出身。
(日本経済新聞)
大企業のソニーグループにありながら、起業への思い入れが人一倍強い。金融機関の関係者は「右手にロマン、左手にそろばんを持ち、何かを組み合わせて面白い物をつくる絵を描くのがうまい」と評する。「いい物を『いい』と認めてくれる人」。ソニーグループの誰もが前のめりで語りたがる憧れの存在だ。
1987年にソニー入社後、自ら決断し本体から飛び出した。ソニー銀行では創業メンバーの中心となり、ソネットエンタテインメント(現ソニーネットワークコミュニケーションズ)に移ってからはディー・エヌ・エーなど有望スタートアップを支援した。
あるスタートアップ経営者は「覚悟を持って創業した人に熱い敬意を払ってくれる」と話す。22年にスタートアップを立ち上げたソニー出身者には「大企業とスタートアップが連携する新しいエコシステムを作ってほしい」と送り出した。グループ企業の新任役員向けに毎週、経営者のあり方を指南する場を開いたこともある。
バトンを引き継ぐ吉田憲一郎会長兼社長とはソネット時代から腹蔵なく意見を言える関係だ。ソニーがソネットを完全子会社化することを決めた12年。自立経営を志向し、完全子会社化に反発した当時ソネット社長の吉田氏に「上場来高値を上回るTOB(株式公開買い付け)への抵抗は株主に説明がつかない」と翻意を促した。ソニーの平井一夫前社長から復帰を要請された吉田氏が付けた条件のひとつは「十時も一緒に」だった。
ソネット時代から二人を知る人は「吉田氏は経営者、十時氏は事業家」と評する。
ソニーが新たに取り組む自動車分野。1月のテクノロジー見本市「CES」で披露したソニー・ホンダモビリティの電気自動車(EV)「AFEELA」の原点は十時氏の発想だ。スマートフォン事業のトップ時代に、ソフトウエアをアップデートすれば機能が高まるスマホの拡張性に着目。「ソニーが車をやったらどうか」と発案し、18年から水面下でEV開発が始まった。
吉田氏は交代の背景に「地政学リスクやテクノロジーの変化など外部環境の変化が非常に激しくなっている」ことを挙げた。自動車業界は100年に1度の変革期を迎え、半導体業界は米中対立下で国際競争が激化する。十時氏は多様性の進化をソニーグループとしてのレジリエンス(強じん性)を高める鍵に掲げた。開拓者精神を浸透させ、激動期を乗り切るかじ取りに期待が高まる。
(日本経済新聞)
ソニーグループの経営が新たな段階に入る。4月、吉田憲一郎会長兼最高経営責任者(CEO)と十時裕樹社長の「2トップ」体制になる。ソニー本体の経営再建のため、両氏が子会社から復帰して10年。エンタメ・半導体事業を中心に過去最高水準の収益力を取り戻した。電気自動車(EV)参入やメタバース活用など新たな価値創造に向けて推進力を倍増させる。
「十時氏は事業運営に対する深い理解がある。CFO(最高財務責任者)としてグループ経営計画を策定し、成長投資をサポートした。私も事業環境を俯瞰(ふかん)した彼から、多くの気付きと学びを得てきた」。2日にソニー本社で開かれた記者会見で吉田氏は社長交代の理由をこう述べた。
社長禅譲の準備は水面下で進んでいた。22年12月、米アップルのティム・クックCEOの姿が熊本県菊陽町のソニーの半導体工場にあった。出迎えたのは吉田氏と十時氏の2トップだった。十時氏は23年1月の世界経済フォーラムの年次総会「ダボス会議」にも初参加。18日夜の「ジャパンナイト」ではソニー代表として政財界の重鎮と渡り合った。
十時氏との2トップ体制を敷く吉田氏の意図はどこにあるのか。吉田氏は「地政学リスクやテクノロジーの変化など外部環境の変化が非常に激しい」と語る。今回の人事は危機意識の裏返しだ。
エレキからエンタメ会社へ変革
13年に当時インターネット通信子会社のソネットエンタテインメントにいた吉田氏と十時氏は、平井一夫前社長からの要請で共にソニーに復帰した。両氏はソニーの経営に参画して以来、エレクトロニクス主体の事業構造からエンターテインメント事業を中心とした会社への変革を推進した。
この10年間でソニーは様変わりした。13年3月期は売上高の4割強をエレキ事業が占めていた。23年3月期のエレキ事業は全体の2割にとどまり、エンタメ事業が5割強を占める見通し。2日時点の時価総額は14兆4898億円とトヨタ自動車(30兆6803億円)とキーエンス(14兆7772億円)に次ぐ国内3位にある。
平井氏が赤字事業からの撤退などの構造改革をし、事業の集中と選択を進めた。後任の吉田氏は19年、パーパス(存在意義)を策定し、テクノロジーとエンタメの融合という新しい経営の方向性を打ち出した。21年には社名も「ソニーグループ」に改め、経営体制の再編に尽力した。
吉田氏は10年間で最大の出来事について「前任の平井氏から『感動』のキーワードを引き継ぎ、パーパスという形でつなげたことが良かった」と振り返る。業績が回復するなか、EVやメタバースなど新領域の事業育成に向けた種もまいてきた。半導体でも台湾積体電路製造(TSMC)などとの新工場建設を決めた。
テック業界に吹き付ける逆風
再成長にアクセルを踏み込もうとしたタイミングに重なったのが、テック業界の退潮だ。新型コロナウイルス禍の「巣ごもり需要」の反動や、世界的な景気後退懸念から米国を中心にテクノロジー業界に逆風が吹く。アマゾン・ドット・コムやマイクロソフトなどテック企業で大規模な人員削減の発表が相次ぐ。
ソニーは映画や音楽、ゲーム、半導体、金融、エレキなど多様な事業体から成る。グループ全体にパーパスを浸透させ、事業部間連携をさらに深める取り組みは道半ば。同時に新事業を柱に育てる必要もある。吉田氏のワントップでは限界があった。
こうした難局で切り札になったのが十時氏だ。十時氏は「起業家」としての実績で知られる。ソニー銀行の創業メンバーの中心として活躍。ソネットではエムスリーやディー・エヌ・エーなどの投資先の育成を支えた。
ソニーに復帰後も新規事業創出の担当役員として、不動産やドローンなどの新しいアイデアの事業化を後押しした。成長戦略とするEVなどモビリティー事業の立ち上げを主導し、メタバースでも事業拡大でカギとなる米エピック・ゲームズへの出資などの戦略投資の責任者が十時氏だ。
十時氏は「グループとしてのレジリエンス(強じん性)を高めるカギは多様性だ。人材や事業の多様性はソニーのDNAで、様々な人材の発想力や創造力を開放し、企業も個人も成長する未来を目指す」と抱負を語る。
ただ、思惑通りに2トップ体制が機能するかはわからない。コングロマリットのソニーは過去にも同様に2トップ体制で経営に臨んだものの、つまずいた歴史を繰り返してきた。
2トップ体制、つまずいた歴史
出井伸之元会長は就任5年目の00年に社長職を安藤国威氏に譲り、出井氏自身は会長兼CEOとなった。ただ後に出井氏が著書の中でこの2トップ体制を「最大の失敗」と振り返った。求心力は分散し、3つのDVD録再機を異なる部門がほぼ同時に商品化するなど迷走した。
後任CEOのハワード・ストリンガー氏も05〜09年までは自らを会長兼CEOとし社長職は中鉢良治氏が務めた。09年からは社長職も兼務し「ワントップ」体制に改めたがソニーの浮上にはつながらなかった。
吉田氏と十時氏は苦楽を共にした戦友で「管鮑(かんぽう)の交わり」とも言える間柄ではある。環境の変化が早く複雑になるなか、異なる意見を柔軟に経営に取り込む局面は増える。2トップの近さはグループに働く遠心力を弱められる半面、経営の柔軟性を奪う懸念はある。
構造改革から成長基盤づくり、そして再成長へ。平井氏、吉田氏からつながれた経営のバトンを受け継ぐ十時氏は改革のギアをどのように一段上げるのか。十時氏の手腕がソニーの「第二の創業」の総仕上げを左右する。(古川慶一)
(日本経済新聞)