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伊藤雅俊氏が死去 イトーヨーカ堂創業者、98歳 2023/03/13

セブン&アイ・ホールディングス(HD)名誉会長で、同社の礎であるイトーヨーカ堂を創業した伊藤雅俊(いとう・まさとし)氏が10日、老衰のため死去した。98歳だった。告別式は近親者で行った。喪主は長男、裕久氏。

東京都出身。横浜市立横浜商業専門学校(現・横浜市立大学)を卒業し、家業の洋品店「羊華堂」を母と兄とで再興した。1958年にヨーカ堂(現イトーヨーカ堂)を設立、日本最大のコンビニエンスストアチェーンとなるヨークセブン(現セブン―イレブン・ジャパン)を73年に立ち上げた。ダイエー創業者の中内㓛氏らと並ぶ戦後日本の流通業界を代表する経営者の一人。バブル期に不動産投資や大幅な多角化とは一線を画し、質の経営を貫いた。一方で米セブン―イレブンの前身である米サウスランド社を91年に子会社化し、世界展開の足がかりを築いた。

92年に総会屋への利益供与事件で引責辞任し、イトーヨーカ堂社長を鈴木敏文氏に譲った。2005年のセブン&アイHD設立後も創業者として経営を支えた。イトーヨーカ堂などが大きなチェーンに育った後も商人の心構えを説き、従業員らの精神的な支柱であり続けた。

日本チェーンストア協会の会長も務め、流通業界の振興に尽力した。2003年4月、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載した。

(日本経済新聞)

イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊氏死去、産業界で悼む声 2023/03/13

セブン&アイ・ホールディングス名誉会長で、同社の礎となるイトーヨーカ堂を創業した伊藤雅俊氏の死去を受けて、経済界から追悼の言葉が寄せられた。

岡田卓也・イオン名誉会長相談役 
イオンの前身であるジャスコ設立のとき、監査役を引き受けてもらい、ご指導を賜った。小売業の産業化を目指し、互いに切磋琢磨(せっさたくま)し合い、励ましあった同志であり、そして家族のような存在だった。日本チェーンストア協会会長をはじめとする要職を歴任し、数多くの功績を残した。

似鳥昭雄・ニトリホールディングス会長 
日本の流通業をけん引し、ここまでに大きく発展させ、尊敬している。大先輩であるにもかかわらず、私の話すことをメモし、大変恐縮した。私も見習い、人が話すときはメモをするようにしている。

柳井正・ファーストリテイリング会長兼社長 
戦後日本の流通業界を代表する経営者として、セブン&アイ・ホールディングスの礎を築かれ、我が国の経済発展に大きく貢献した。非常に尊敬する経営者のお一人で、とても残念でならない。謹んで哀悼の意を表し、心からお悔やみ申し上げる。

茂木友三郎・キッコーマン取締役名誉会長 
10歳ほど年上という事もあり、いろいろとご指導いただいた。奥様と2人で一から築き上げ、大きな事業にされた功績は立派という以外ない。一方で、威張ったところが無く、ざっくばらんで、とても謙虚な方だった。その上、とても柔軟に取り入れるところは取り入れる、柔軟で、学びの精神にあふれた勉強家だった。

藤江太郎・味の素社長 
イトーヨーカ堂の設立だけでなく、コンビニやファミリーレストランといった今では欠かせない生活インフラを日本に普及、根づかせた功績は、企業経営者として尊敬の念に堪えない。生活者のニーズに寄り添った現場主義、お客様や取引先からの信頼を得ることの大切さを学ばせていただいた。

三枝富博・日本チェーンストア協会会長 
(伊藤氏が1978年に会長に就任した)当時は、大規模小売店舗法により営業面積や営業時間などが厳しく規制されていた時代で、消費者のために率先して規制緩和の推進に取り組み、特に重要な役割を果たした。一般の消費者に対して、チェーンストアという業態や理念のアピールに大変尽力した。社業においては「信頼と誠実」「商いの道」を熱心に説き、経営姿勢は多くの協会員にとっての範となった。

(日本経済新聞)

資本家と商人、2つの顔で巨大流通築く 伊藤雅俊氏死去 2023/03/13

戦災を逃れた東京・千住の2坪の洋品店が現在、売上高10兆円を超える巨大流通グループの源流だ。お金も物もない戦後の混乱期でも商売を軌道に乗せることができたのは取引先と消費者への「誠実さ」による信用の積み重ねだった。この言葉はグループ社是の中核的メッセージとなり生き続けている。

ダイエー創業者の中内㓛氏、イオン創業者の岡田卓也氏など同じ近代流通の第1世代。中内氏らが積極的だったM&A(合併・買収)とは一線を画し、地道に業容を拡大。その結果が業界屈指の高収益企業となった。「臆病で心配性だったから」と話していたが、コンビニ事業(セブン―イレブン・ジャパン)の参入やその生みの親の米国事業の救済では資本家の顔となりリスクを取った。

力を付けてきた側近を突然排除する中内氏や堤清二氏(セゾングループ創始者)と異なり、自力ではい上がってきて経営手腕に秀でた鈴木敏文氏を重用し、さらにグループ力を高めた。両者の関係には時に意見の食い違いもあったが、「それが会社、取引先、お客様、株主にとっていいことならば」と意に介さなかった。資本家と商人の両面の采配が光った。

独特の景況感を持ち、バブルの余韻が残る1991年ごろには「これまでに経験したことの無い不況が来る」と語った。その通りになり、空白の30年へと進む。多くの大手流通業がバブルで深い傷を負ったが、ヨーカ堂はその嗅覚で手堅い経営を守った。

92年に発覚した総会屋への利益供与事件では、経営者として責任をとるかたちでヨーカ堂社長を辞任した。一線からは退いたが、創業者としてグループの経営に影響を与え続けた。2016年のグループ内紛を受けた鈴木氏のセブン&アイ・ホールディングス会長退任には、伊藤氏の意向もあったとされる。

自身が保有する莫大な保有株の一部を拠出して奨学財団を設立。財団名に「謝恩」と付けたのは消費者から支持を得たから会社が大きくなったというだけでなく、創業時に献身的に働いた母と異父兄へのお礼の意味を込めた。

巨大流通企業になった感想を聞いたことがある。すると意外な答えが返ってきた。「売上高が100億円くらいの時代が一番よかったね。お客様と従業員の顔もちゃんとわかったから」。商人の顔になり、相好を崩した。

(編集委員 田中陽)

(日本経済新聞)

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