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日商会頭に三菱商事の小林会長を起用 2022/03/10

三菱商事の小林健会長

日本商工会議所は10日、三村明夫会頭(81、日本製鉄名誉会長)の後任に三菱商事の小林健会長(73)を内定したと発表した。小林氏は東京商工会議所の会頭も兼ねて11月に就任する。任期は2期6年の見通し。原材料高や国際的な供給網の混乱など中小企業の経営課題が山積する中、国際経験が豊富で人脈・知見を持つ小林氏が適任だと判断した。総合商社からの会頭就任は初めて。

10日、都内で記者団の取材に応じた三村氏は、起用の理由について「(会頭には)グローバルの視点を持ち、大企業も中小・スタートアップもよく知っている人が望ましい。その時代に適した人が就くべきだと考えた」と語った。

小林氏は同日、「生産性向上や事業再構築など中小企業の自己変革を後押ししていく」とのコメントを発表した。

三村氏は2013年に日商会頭に就任した。3期にわたって務め、最低賃金を巡って政府に積極的に意見するなど存在感を示してきた。

小林 健氏(こばやし・けん) 71年(昭46年)東大法卒、三菱商事へ。10年社長、16年から現職。東京都出身。

未知の時代を切り拓く 日本貿易会
Pioneers of a new era
小林会長のご経験やご趣味について聞きました。

─商社パーソンとしての長いキャリアの中で印象に残っていることを教えてください。

私は1971年7月に三菱商事に入社いたしました。お二方のご両親よりも先輩になるか
もしれません。入社以降、日本経済の成長や変化と、キャリアを共にしてきました。入
社した当時の為替レートは1ドル360円の固定レートでしたが、その後、308円、240円
と円高が進み、さまざまな変動を経て、今は110円前後になりました。鉄鋼・造船等を輸
出していくことが日本経済のエンジンだった製造業中心の時代、石油化学産業、半導体
や自動車産業の台頭、金融や投資を基にしたサービス業への移行など、日本経済の長い歴
史を商社パーソンとして経験しました。「日本経済の変遷を自分自身で体験してきたこ
と」が印象に残っていることですね。

─会長が入社された当時はニクソン・ショック等激動の時代だったと思います。そうした
中でどのような目標や希望を持って社会人生活をスタートされたのでしょうか。

商社のファンクションは大きく変化してきたと思いますが、日本の製造業が世界的に高
いプレゼンスを有していた入社当時、この強い産業集団と一緒に事業に携わり、海外展開
あるいは合弁事業を伸ばしていくという役割を担いたいと思っていました。結果的に私は、
造船・海運のビジネスに約20年間携わりました。浮き沈みはありましたが、日本の強い
産業集団を世界に広げていく一翼を担えたのは幸せなことだと感じています。

─まさに造船・海運、重厚長大産業の中でいろいろご経験をされてこられたと思うのです
が、失敗された経験とその教訓について教えてください。

1980年代後半に造船・海運業界に世界的な大不況が到来しました。当時の三菱商事の
ファンクションは既に投資や金融に大きくシフトしており、商社も海運会社に融資をし、
造船会社でつくった船を海運会社に傭船に出すというビジネスモデルを展開し始めた時期
でした。大不況の影響を受け、海運会社の多くが厳しい経営状況に陥りました。一方、造
船は国内の各地方において、地域を支える大きな産業に育っていました。従って、大不況
に伴い、契約をキャンセルし、造船を中断することは社会的に与えるインパクトが大き
く、契約を履行するという社会的使命を果たさなければならない、という状況に直面しま
した。結果として、三菱商事は納入先のいない十数隻の船を抱えることとなりました。そ
のような状況下、三菱商事として資金を手当てし船員を雇い、船会社をつくりました。当
初は赤字が続き、数年にわたって苦労をしましたが、約10年間をかけ、十数隻の船を販
売し、最終的には事業を黒字化させることができました。物事を長期的にみることの大切
さと、社会と共生していくことの重要性を勉強しました。

─小林会長が最近、感銘を受けた本・映画などについて教えてください。

本を読むのは好きでいろいろ読んでいます。例えばですが、斎藤茂吉が書いた『万葉
秀歌』が好きですね。万葉集の歌を400首くらい集めて解説をした本です。なかなかい
い歌が集められています。日本の映画では、野村芳太郎監督の『砂の器』が好きです。松
本清張の小説を映画化したものですが、所々に涙を誘う場面があり、お気に入りの作品で
す。従ってこれは一人で見ますね(笑)。

─会長の座右の銘を教えてください。

「志は高く、目線は低く」ですね。あまり奇をてらったことはやるべきではないという
のが、この言葉の真意です。仕事における本当のプロというのは、強い足腰を鍛え、次に
何が起きるのか、未来を予測しながら、常に志を高く持っておくことが大事だと考えてい
ます。野球に例えると、ピッチャーがどのような球を投げ、どこにボールが飛んでくるか
を予測し、正面でゴロを捕球できるようにするのが大事だということです。三遊間のゴロ
が飛んできた際に、派手な動きでボールを取り、ジャンピングスローでアウトにするのは、
一見すると素晴らしいプレーに見えますが、ゴロを正面で取り、簡単にアウトを取るのが
プロだと思います。基本の徹底が、やはり重要だと思います。

─小林会長のご経験のあるスポーツやご趣味を教えてください。

中学校から大学までずっとバドミントンをやってました。大学3年生、4年生の時には
国公立の学生選手権で2年連続シングルスのチャンピオンになりました。しばらくバドミ
ントンはプレーしておりませんが、これはちょっとした自慢です。昔は、ラケットが木製でしたので、お互いが打ち合う玉が遅く、バドミントンは攻撃のスポーツではなく、守
りのスポーツだったと思います。守って、守って、耐え抜いて相手のミスを待つことが勝負
の分かれ目であり、我慢する忍耐力が磨かれたと思います。また、相手の苦しさを理解す
ることも覚えました。守りの強い者が最後は強いということを、バドミントンを通じて会
得しましたね。
趣味は落語を聴くことです。寄席に行って落語を聴くのはもちろんですが、なかなか時
間を割けないこともあり、自宅で水割りを一杯飲みながら、CDの落語を聴くというの
が一番の癒やしです。特に5代目の古今亭志ん生とその息子の志ん朝の親子2人が好きで
す。親子が演じる一つの演目を聴き分けるのは、なかなか奥の深い癒やしの時間です。

─駐在のご経験に関して印象に残ることはございますか。

若手時代に1年程度インドに滞在し、30代前半から約6年間、ロンドンに駐在後、50
代初めからシンガポールに駐在しました。シンガポールでは支店長のポジションに就いて
いましたが、支店長業務は非常に勉強になりました。会社の仕事だけではなく、日本人会
や商工会議所のトップを経験し、現地の要人と交流する機会にも恵まれました。お客さま
に3分間でシンガポールのことを話し、ファンになってもらうように心掛けていました。
これは結果的に今でいうプレゼンテーションについて勉強したことになりましたね。

─当会の委員会に会員各社から出ておられる委員の方や、事務局職員へのメッセージをお
願いします。

日本貿易会には4年ぶりの復帰となりますが、このたびは会長職を拝命いたしましたの
でよろしくお願いします。日本貿易会の活動を支えていただいている多数の委員の皆さ
ま、事務局、出向者の方々にまずは感謝申し上げます。年間300件近い各種の会合を開
催し、さまざまな政策提言につなげているということを伺っておりますので、今後ともそ
の専門性を発揮し、業界の発展に貢献していただくことに期待しております。また、現状、
最優先すべきことは、皆さまの健康と安全であります。2021年1月には新しいオフィス
への移転を控えており、大変なミッションが続きますが、心身の健康を大切にし、一緒に
頑張っていければと思います。

【小林健会長のご趣味等】
愛読書: 斎藤茂吉『万葉秀歌』
感銘を受けた映画: 野村芳太郎『砂の器』
座右の銘 :志は高く、目線は低く
スポーツ経験: バドミントン(国公立大学選手権シングルス2連覇)
趣味: 落語を聴くこと
2020年5・6月号 日本貿易会

(日本経済新聞)

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