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日銀総裁に植田氏 初の学者起用、元審議委員 副総裁、氷見野・内田氏 雨宮氏は就任辞退 2023/02/11

政府は日銀の黒田東彦総裁(78)の後任に経済学者で元日銀審議委員の植田和男氏(71)を起用する人事を固めた。黒田氏の任期は4月8日まで。政府は人事案を2月14日に国会に提示する。衆参両院の同意を経て内閣が任命する。

次期日銀総裁に起用が固まった植田氏
副総裁には氷見野良三前金融庁長官、内田真一日銀理事を起用する方針だ。現在の雨宮正佳、若田部昌澄両副総裁の任期は3月19日まで。政府は黒田氏の後任総裁として雨宮副総裁に打診したが、同氏は辞退した。

14日の人事案提示後、衆参両院の議院運営委員会で正副総裁候補者から金融政策に関する所信を聴取して質疑する。衆院では24日に実施する見通し。その後、両院の本会議で承認されれば正式に就任が決まる。植田氏は10日、記者団に「現在の日銀の政策は適切だ。現状では金融緩和の継続が必要だ」と語った。

初の経済学者出身の日銀総裁となる。日銀と財務省(旧大蔵省)の出身者の起用が続いており、民間出身は三菱銀行出身で1964年に就任した宇佐美洵氏以来だ。

植田氏は日本を代表する金融政策の研究者で、1998年4月に東大教授から日銀審議委員に転じ、05年4月まで務めた。日本が1990年代後半からデフレに突入していくなか、日銀によるゼロ金利政策の導入などを理論面から支えた。その後、20年を超える長期にわたって続く金融緩和に精通した一人だ。

2000年のゼロ金利解除に反対票を投じたことでも知られる。日銀が今後、異次元緩和からの出口を探っていく中で、性急に出口に突き進むことはないだろうという安心感も選出の決め手になったとみられる。

10年続いた異次元緩和政策の検証が、次期総裁の最初の役割となる。雨宮氏は黒田体制下で金融政策運営を事実上取り仕切ってきた自分はふさわしくないと就任を固辞した。金融政策に深い知識と経験を持ち、より中立的な立場で政策の検証と修正に取り組める植田氏に白羽の矢が立った。

米マサチューセッツ工科大学で経済学の博士課程を修了し、国際的な経済学者である植田氏は海外の中央銀行との円滑な対話も期待できる。米連邦準備理事会(FRB)のイエレン前議長やバーナンキ元議長のように、世界では学者出身の中銀トップが珍しくない。

黒田総裁が就任直後の13年から始めた異次元緩和は円高是正などで効果があったとされるが、市場機能の低下や財政規律の緩みといった副作用も招いた。次期総裁は政府と緊密に連携し、日本経済や金融市場へのショックを避けながら金融政策を正常化に導くことが使命となる。

政策面では、長期金利を一定の範囲に抑え込む長短金利操作の修正の是非が当面の焦点になる。金利の上昇圧力が高まるなか、日銀は22年12月に長期金利の許容変動幅を0.25%から0.5%に広げた。国債の買い手がほぼ日銀だけという異常な状態となっており、変動幅の再拡大や同政策の撤廃などに踏み込むか、次期総裁の判断に注目が集まる。

 植田 和男(うえだ・かずお)74年東大理卒、80年米マサチューセッツ工科大博士。93年東大教授、98年から05年まで日銀審議委員。05年に東大教授に戻り、17年退官。現在は共立女子大学教授。静岡県出身。
 氷見野 良三(ひみの・りょうぞう)83年東大法卒、大蔵省(現財務省)へ。16年金融国際審議官。20年に金融庁長官、21年退官。富山県出身。
 内田 真一(うちだ・しんいち)86年東大法卒、日銀へ。新潟支店長などを経て12年企画局長、17年名古屋支店長。18年から理事。東京都出身。

(日本経済新聞)

日銀異次元緩和、出口へ重責 総裁候補に理論派・植田氏 2023/02/10

【この記事のポイント】
・10年続いた大規模緩和からの出口が次期総裁に託される
・国債市場の機能低下、混乱のなかの難しいかじ取り
・日銀が政府と結んだ共同声明の見直しの行方も焦点

政府が日銀の次期総裁に起用する方針を固めた植田和男氏を待ち受けるのは、10年続いた異次元緩和の手じまいという重責だ。マイナス金利政策や国債の大量購入を続けてきたが、成長と物価上昇の好循環は実現できず、市場機能の低下などの副作用が無視できなくなっている。国内屈指の金融政策の研究者である植田氏のかじ取りに市場の注目が集まる。

歴代最長となった黒田東彦総裁の後任選びは難航した。政府が本命視していた雨宮正佳副総裁が、今後の金融政策には新しい視点が必要だと就任を固辞したためだ。政府が最終的に頼ったのが植田氏だった。経済学者でありながら実務経験もあり、現在の金融政策に精通していると判断した。

日銀の異次元緩和は前例のない実験だった。国債の大量購入で、日銀の国債保有額は13年3月の125兆円から23年1月の583兆円へと4倍超に拡大。発行済み長期国債の5割以上を買い占めた。上場投資信託(ETF)の保有額(簿価ベース)も1.5兆円から36.9兆円に増え、多くの上場企業の主要株主になる異常事態となった。

22年12月に日銀が副作用を解消するために長期金利の上限を引き上げると、金融政策の出口を見込んだ市場との攻防が激化した。1月の国債購入額は23兆6902億円と過去最多に達した。次期総裁は異例の混乱のなかで就任を迎える。

植田氏はマサチューセッツ工科大学で経済学の博士号を取得し、金融政策の理論に精通する。1999年のゼロ金利政策や2001年の量的緩和政策の導入に審議委員として関わった。異例の政策の導入を理論的に支えたのが植田氏だった。

植田氏は22年7月の日本経済新聞の「経済教室」で「異例の金融緩和枠組みの今後については、どこかで真剣な検討が必要だ」との考えを示した。一方で拙速な引き締めには警鐘を鳴らすバランス感覚をあわせ持つ。

10年目の異次元緩和政策には課題が多い。物価上昇率は22年12月に4.0%となり、日銀の物価目標の2倍に達した。ただ、エネルギー価格の上昇や円安などの要因が大きく、賃上げを伴いながら物価が持続的・安定的に上昇していくという日銀の目指した姿はいまだに実現できていない。

政策の限界が近づくなか、海外の投機筋は金融緩和の縮小を見込んで国債を売り続けている。日銀の国債購入の副作用で「(債券市場の)流動性の低下などは続いており、日銀はこの点を無視できない」(米ニューバーガー・バーマンのフレディリック・レプトン氏)との見方がある。

日銀が13年に政府と結んだ共同声明の見直しも焦点だ。物価2%目標を「できるだけ早期に実現する」という文言が、緩和一辺倒の硬直的な政策運営につながったとの指摘がある。岸田文雄首相は「見直すかどうかも含めて新しい日銀総裁と話をしなければならない」との立場だ。植田氏の判断に注目が集まる。

政策修正を探るにしても、経済・物価への影響を見極めながら慎重に進めざるを得ない。金利上昇は家計や企業の負担増に直結するためだ。国債残高が1000兆円規模に膨らむ財政への影響も大きい。金融政策の正常化は「狭い道」で、一歩踏み外せば金利上昇や円下落を招きかねない危うさもある。

(日本経済新聞)

植田氏、審議委員を7年 2000年、ゼロ金利解除に反対 2023/02/11

政府が日銀の次期総裁に起用する意向を固めた植田和男氏は日本を代表する経済学者だ。政策立案の現場にも身を置き日銀のゼロ金利政策や量的金融緩和政策の導入に携わった。理論と政策の間を行き来してきた。

日銀との関わりは深い。調査統計局客員として経済見通し作りに携わった後、1998年4月から7年審議委員に就く。将来の短期金利に対する市場の「予想」に働きかけて中長期金利を低く抑える「時間軸政策」を考案したアイデアマンだ。植田氏の発言が元となった金融政策もある。2000年8月の速水優総裁時代、決定会合でゼロ金利解除が決まった際は植田氏が反対票を投じた。日銀執行部からは会合の前の晩まで「できれば解除に賛成してほしい」と求められたという。結果的に賛成多数でゼロ金利は解除されたが、その後の景気悪化で日銀は批判を浴びた。

マサチューセッツ工科大学(MIT)留学時代の博士論文の指導教官は、中央銀行界の理論的支柱とされる元米連邦準備理事会(FRB)副議長のスタンレー・フィッシャー氏。ベン・バーナンキ元議長やドラギ元欧州中央銀行(ECB)総裁もフィッシャー氏の教え子で、植田氏は世界の中銀関係者に幅広い人脈を持つ。

異次元緩和の修正にあたっては政界や市場との密な対話が欠かせない。戦後初の経済学者の日銀トップが難局にどう挑むのか、市場は見極めようとしている。

(日本経済新聞)

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