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富士フイルム古森氏退任 医療で「第二の創業」にメド  2021/03/31

富士フイルムホールディングスは31日、古森重隆会長兼最高経営責任者(CEO、81)が6月に退任すると発表した。デジタルカメラの普及で写真フィルム市場がほぼ消滅するなか、医療関連や事務機器を伸ばし会社を再生させた。パナソニックなど市場の変化への対応が遅れる電機・精密企業が多いなか、いち早い構造転換を主導した。
後藤禎一取締役(62)が社長兼CEOに就き、助野健児社長兼最高執行責任者(COO、66)は代表権のある会長兼取締役会議長に就任。古森氏は取締役からも退き、最高顧問に就く。
「会社がかなり強くなり、私がやるべきことが終わった」。その古森氏は31日の記者会見で構造改革の成果を強調した。2021年3月期の連結純利益(米国会計基準)は1600億円と新型コロナウイルス下でも過去最高を見込む。
社長に就任した00年からしばらくは違った。「風呂の栓が抜けたように、みるみる写真フィルムの需要が減っていった」。当時、フィルムなどの写真事業は売上高の約6割、利益の3分の2を稼ぐ屋台骨。そこからの変化を古森氏はこう振り返る。
写真フィルムの需要は年2~3割のペースで減少。祖業で主力事業の急失速により、会社存亡の危機に直面した。
そこで古森氏が掲げたのが「第二の創業」だった。まず自社の技術で何ができるかを整理し、市場拡大が見込める分野に応用することにした。その結果、医薬品や化粧品などを新規事業として育成。08年に富山化学工業(現富士フイルム富山化学)を約1370億円で買収し、医薬品事業に本格参入した。

神奈川県に460億円を投じて「富士フイルム先進研究所」を開設し、機能別に各地に点在していた研究所を集約。全社横断的な先端研究ができる場を整えた。一方で、写真関連を中心に人員削減を実施し、特約店制度を見直すなどの構造改革も同時に進めた。
ライバルだった米イーストマン・コダックはフィルムにこだわり破綻した。その明暗を分けた判断は「イノベーションのジレンマ」を乗り越えた事例として経営学修士号(MBA)の教科書にも取り上げられた。
業績が安定し始めた2010年代に入ると、医療関連への投資を加速させる。11年に米メルクの事業を約400億円で買収し、バイオ医薬品の開発製造受託(CDMO)事業に参入。17年には試薬を手掛ける和光純薬工業(現富士フイルム和光純薬)を約1550億円で買収した。
こうした事業転換は、新型コロナウイルス下で需要が低迷し、業績が落ち込む製造業が多い中でも富士フイルムを下支えする。21年3月期の連結純利益(米国会計基準)は前期比28%増の1600億円と過去最高の更新を見込む。
けん引役は医療関連事業だ。売上高は前期比9%増の5500億円、営業利益は69%増の560億円を見込む。特にCDMOが伸びている。コロナワクチン候補の原薬の製造も海外の大手製薬会社やベンチャー企業などから受託している。
富士フイルム富山化学が開発した抗インフルエンザウイルス薬「アビガン」はコロナ薬の承認も目指す
古森氏は経営者として2度の大勝負に挑んだが、当初の想定通りにはいかずに失敗し、現実解を探った経緯もある。
その一つが16年に東芝メディカルシステムズの買収でキヤノンと競ったときのこと。新たな成長の柱として医療機器を位置づける古森氏は買収に執念を燃やしたが、キヤノンが6655億円で買収に成功。当初の4000億円規模から6000億円台に引き上げられた買収価格についていけなかった。古森氏は「さすがに高すぎる」との幹部の助言を受け入れた。
東芝の事業を買収できていれば医療へのシフトはさらにペースアップできたが、あきらめた。しかし、古森氏は持ち前の胆力をここで見せる。日立製作所から画像診断機器事業を1790億円で買収すると19年12月に発表。事業の親和性が高いとされる、コンピューター断層撮影装置(CT)や磁気共鳴画像装置(MRI)などの事業を獲得した。
もう一つ、当初の想定通りに進まなかったのが、米ゼロックスとの関係見直しだ。世界で初めて複写機の開発に成功したゼロックスとは、1962年に共同出資会社として富士ゼロックスを設立して以来、半世紀あまり協業してきた。富士フイルムは18年にゼロックスに買収を提案したが、ゼロックスの大株主で著名投資家のカール・アイカーン氏らが反発して頓挫。ただ、深追いせず、富士ゼロックスを完全子会社化するという実をとった。

後任に後藤禎一取締役
くしくも退任を発表した3月31日は多くの節目が重なる。ゼロックスとのブランド契約などが切れ、富士ゼロックスは4月から社名を富士フイルムビジネスイノベーションに変えて再出発する。日立からの事業買収も完了する。
「医療関連で売上高1兆円を目指す」。もともと18年ごろの達成を目指してきた古森氏の夢だ。日立からの事業買収で、ようやく7000億円規模に達する。この買収を主導した後藤禎一取締役が社長兼CEOに就いて引き継ぐ。

古森氏の後継CEOになる富士フイルムホールディングスの後藤禎一取締役
2000年の社長就任以来、20年余り経営を陣頭指揮してきた古森氏。同年6月に4000円前後で推移していた富士フイルムの株価は、リーマン・ショックやその後の円高で、12年には1240円と約27年ぶりの安値をつけた。ただ、医療関連事業の拡大で成長軌道にのると、20年に上場来高値を更新。足元は6600円前後で推移し、時価総額は約3兆4000億円に達する。わずかだがキヤノンを上回り逆転した。

その20年間で世界ではGAFAなどIT(情報技術)企業が躍進した一方、日本の電機、精密企業では伸び悩む企業が多い。
特にニコンなどは、フィルムカメラから一度はデジカメへと事業を変えたが、スマホの普及でデジカメの需要が低迷する中で工場再編など構造改革のまっただ中だ。パナソニックやシャープも次の成長の柱が定まらない。
「経営者にはロマンと若干の冒険心が必要」。古森氏はこう強調する。リストラなどで会社が動揺する中でもロマンある夢を語り、社員を鼓舞。冒険心で大型買収により医療事業を育てた。
医療関連などが大きく伸びた一方、売上高の約半分を占める事務機器やカメラ関連の事業では、多くの製品で市場が成熟している。社長兼CEOに就く後藤氏はこうした事業でロマンと冒険心を発揮し、成長モデルを描き直すことも求められる。

後藤 禎一氏(ごとう・ていいち)83年(昭58年)関学大社会卒、富士写真フイルム(現富士フイルム)入社。18年富士フイルムホールディングス取締役。富山県出身。

(日本経済新聞)

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