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軽井沢風越学園理事長 本城慎之介さん 人生は自分でつくる(4) 2021/05/11

楽天ではシステム担当として、売りやすく買いやすいシステムを追求した
 1997年、「楽天市場」がスタートする。最初の出店は13店にすぎなかった。
名称はイタリアの青空市場にちなむ「ポルタ・パラッツォ」の予定でした。三木谷さんがURLを打ち込むのも難しいと反対し、楽天市場に落ち着きました。企業規模にかかわらず出店料が月5万円と先行他社より安く、半年前払いで売り上げの見通しが立ちやすいのが、スタートにはよかったのでしょう。
素人集団だったのでインターネットの価値などをゼロから考え直し、先行する大手とまったく違うアプローチのモールをつくれたのが、成長の一因だと思います。積極的に地方に営業し、商店主と一緒に新しいビジネスを創っていこうという熱い思いもありました。ウィンドウズ95が普及し、常時接続サービスが始まるなどタイミングもよかったと思います。
私も函館に飛び込みの営業に行きました。函館朝市の水産物会社の社長が話を聞いてくれて「よくわからないけど、お兄ちゃんのこと信頼して出店するよ」とハンコを押してくれた。「これからインターネット時代が来ます。一緒に夢をかなえましょう」というような泥臭い、理論より情熱の営業でしたね。
 97年12月には出店数が100店に達し、軌道に乗ってくる。システム担当として、最初は売りやすく買いやすいシステムの開発、後にはシステムの維持管理に腐心した。
カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)創業者の増田宗昭さんから「1と3」という話を聞いていました。100店いけば300店は見える。300店いけば1000店は見えてくる。ただ300になると100の時の営業体制やシステムは使えない。3人の組織が10人になった時も仕組みを変える必要がある、と。
コンピューターが一斉に止まるかもしれない2000年問題など、プレッシャーはとても大きかったです。信頼して出店してくれた人に迷惑はかけられません。そのころから、利害関係のない第三者に話や悩みを聞いてもらい自分の考えをまとめるコーチングを受けています。
三木谷さんもかなりのプレッシャーだったと思います。300店になる前ぐらいのこと。彼が運転して昼食に行く途中、浜崎あゆみの曲がかかっていました。「彼女も孤独だろうな」なんて、ぽろっと言うんですよ。ただそんなことは珍しかった。楽天の名前が知れていない頃は、新入社員に「ご両親に電話しようか」と声をかけるなど細かな気遣いをしていました。
99年に副社長になりましたが、独立の夢は変わりません。楽天が成長して既成事実が日本を変えるということができてきて、自分も少しは貢献できたという思いもあった。学校を創るのは難しくて時間もかかりそうなので、すぐ始めないと間に合いません。
三木谷さんは「学校を買ってくれという話がある」「サッカーのヴィッセル神戸に関わる。スポーツと教育は近いからやったらいい」と引き留めてくれましたが、最後は納得して送り出してくれました。

(日本経済新聞)

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