金融、コンサル、外資系の転職・求人なら人材紹介【アスパイア】

無料転職支援・
相談のお申し込み

簡単登録
(入力1分)
信頼度NO.1の人材紹介エージェント
  • pic

    Jeff Bezos, president and CEO of Amazon

  • pic

    Former CEO of General Electric, Jack Welch

企業経営最新情報

Latest information on corporate management

中西宏明氏死去 前経団連会長 2021/7/2

日立製作所社長や経団連会長を務めた中西宏明(なかにし・ひろあき)氏が6月27日、リンパ腫のため都内の病院で死去した。75歳だった。通夜、告別式は近親者のみで行った。日立主催の「お別れの会」を開催するが日時や場所は未定。(評伝を経済・政策面に)
東大工学部を卒業後、日立に入社。鉄道の運行管理システムなどの巨大プロジェクトで頭角を現した。海外経験も豊富で、1998年の日立ヨーロッパ社長を皮切りに国際事業部門長や北米総代表を歴任した。トップとして送り込まれた米ハードディスク駆動装置(HDD)子会社では経営合理化を進め再建した。
2009年3月期に日立が7873億円の最終赤字を計上した際に本体に復帰。10年に社長に就き、14年から会長を務めた。IT(情報技術)とインフラ事業を軸に据え、業績回復の立役者となった。16年にダボス会議の共同議長をつとめた。18年には経団連会長に就任した。就活ルールの廃止を決め、通年採用を拡大する方向で大学側との協議会で合意した。
中西氏の後任として経団連会長を務める十倉雅和氏(住友化学会長)は1日、中西氏について「国を憂う経営者だった」と語った。日立の東原敏昭会長は「日立のグローバル化と成長路線への転換を強力に推し進めた」とコメントした。

(日本経済新聞)

中西宏明氏死去 「沈む巨艦」日立を再生  就活ルールの廃止、経団連で陣頭指揮 2021年7月1日

経団連の中西宏明前会長(日立製作所相談役)が亡くなった。グローバル化やデジタル化で「沈む巨艦」といわれた日立の再生に尽力し、経団連会長に就任してからは就活ルールの廃止など日本の古い労働・雇用慣行見直しの陣頭指揮にも立った。堪能な英語と歯に衣(きぬ)着せぬ物言いが時代の要請にマッチし、国内政財界ほか各国経営者、元首級にも太い人脈があった。

日立では情報通信畑を歩んだ。米欧事業のトップをそれぞれ歴任するなど早くから社長候補と目されたが、IT(情報技術)バブル崩壊以降とりわけ不振にあえいだ米ハードディスク駆動装置子会社の再建を任され、日立を離れた。
2008年のリーマン・ショックで日立本体が製造業最大(当時)の赤字に陥ると副社長で呼び戻され、その後社長に就任した。
日立はそれまで1千社近いグループ企業を傘下に抱え、「内向きでつかみどころのない日本型コングロマリット」といわれたが、事業売却とITサービスなど新領域での企業買収を通じて経営ポートフォリオを大きく入れ替えた。
最も変わったのが顧客の顔ぶれで、例えば携帯電話基地局事業を売却したことで日本の象徴的系列組織の一つ、「電電(現NTT)ファミリー」と一線を画した。一方、世界各国での事業は拡大、海外売上高比率を約半分まで伸ばした。
ライバルの東芝が会計不祥事や株主総会の不公正な運営で揺れたが、大規模な経営改革を一足早く敢行したことが両社の明暗を分けた、ともいわれた。
ただし、原発事業については賛否が割れた。東日本大震災の後も国策の原発輸出政策に沿って英国で同運営会社を買収したが、結局撤退に至った。国内の停止中の原発については「(長期のエネルギー戦略を考慮すれば)どんどん再開すべきだ」と発言し続けた。
会長に退いてからは外部の仕事を増やした。歴代の会長、社長には政財界と一線を画す伝統があったが、他の重厚長大製造業の地盤沈下やグローバル化の進展で中西氏に白羽の矢が立つと「それならやってみるか」と経団連会長を引き受けた。
「日本企業はもはや終身雇用を守れない」との日ごろの思いを就任当初からトップダウンで実行に移し、経団連が関与する就活ルールの廃止などに踏み切った。働き方改革、デジタルトランスフォーメーションについても積極的に発言し、安倍晋三前政権の政策(成長戦略)に反映されたことも少なくなかった。
経団連の体質改革では同会館23階にある会長室に初めてパソコンを持ち込み、職員にメールで直接指示するスタイルが話題となった。旧世代に属しながら時代の移行期を比較的軽やかに泳ぎ切った人だった。
(本社コメンテーター 中山淳史)

menu